た行 覚えておこうよ 遍路・巡礼関連 用語集
な行 覚えておこうよ 遍路・巡礼関連 用語集
は行 覚えておこうよ 遍路・巡礼関連 用語集
大日如来
大日如来(だいにちにょらい)は、摩訶毘盧遮那(マカビルシャナ)の訳で、宇宙の全てを仏格化し、色も形も超越した絶対的な仏で、諸仏の根本の仏として位置づけらています。
毘廬遮那は光り輝く太陽を意味しますので、遍照如来と訳す場合もあります。
大日如来には、金剛界と胎蔵界の二種類があります。
密教では、大日如来は宇宙の中心仏であり、宇宙そのものといってもよいような存在です。一切のものは大日如来から出生するとされます。
つまり、一切のものは大日如来に胎蔵されるのであり(胎蔵界)、また一切のものは大日如来のなにものにもおかされない堅固な智の顕現でもある(金剛界)とも考えられています。
像形は、如来ですが菩薩のように例外的に装飾品をたくさん付けています。
金剛界大日/頭に五智の宝冠をかぶり、手は智拳印を結んで座っています。
胎蔵大日/座禅のお姿で、手は法界定印を結んでいます。
お四国の札所で大日如来がご本尊のお寺は
第4番 大日寺、第28番 大日寺、第42番 佛木寺
第60番 横峰寺、第61番 香園寺、第72番 曼荼羅寺
ご真言は、
金剛界大日/オン・バザラ・ダド・バン
胎蔵界大日/オン・アビラ・ウン・ケン
秩父のご開帳
秩父のご開帳(かいちょう)は、普段は厨子の扉を閉めたままで拝観させるご本尊を、日を限って扉を開けて巡礼者とお手綱を介してご本尊さまと握手をし、観音様の功徳を頂くことができるようになっています。
江戸時代の庶民の秩父札所観音巡りブームを高めたものに午歳(うまどし)の総開帳がありました。総開帳では札所34カ所の札所が申し合わせて一定期間ご本尊厨子の扉を開きました。
なぜ午歳に御開帳かというと秩父札所の成立縁起で、十三権者が札所を定めたとされるのが文暦元年が甲午(きのえうま)であったことから定められたとされています。
寛永3年庚午(かのえうま)(1750)の総開帳の折の秩父巡礼者数は7万人余といわれ、四国遍路の年間5万人をはるかに超える賑わいであったそうです。
平成20年は3月18日〜7月18日まで「日本百番観音報恩総開帳」として、総開帳が行われました。
記念事業として「江戸巡礼古道徒歩巡拝」の実施や掛軸納経帳・おいずるへの書き入れ・朱印と朱印(重ね印含む)、ならびに御本尊のお姿をお求めになった場合、一点の納経・お姿に対して「花浄土」の散華を一枚配布してもらいました。
次回は平成26年の午年に開催予定です。
通夜堂
お寺には、夜通しお勤めをする「通夜」のためのお堂=通夜堂などの建物があります。
今では、本来の「通夜」の意味とは違い無料で宿泊できるお堂の意味として使われています。
これは、「宿坊」に料金を払って「お客様」として泊まるのとは異なり、一夜の野宿の代わりに屋根のある建物の一部を使わせていただくというものです。
今は通夜堂のあるお札所は少ないので、利用する際にはお寺の承諾を得る必要があります。
また基本的に、寝具・食事・お風呂などは利用できません。さらに個室や男女別の部屋が確保されるということもありません。
同行二人
同行二人(どうぎょうににん)は、仮に一人で四国八十八カ所を巡っていても、常にお大師さん(弘法大師)と一緒にいる想いで巡礼していることを言います。
「同行二人」の文字は参拝の道具にも数多く記されています。お遍路・巡礼にとっては、なくてはならない言葉です。
百観音の場合は、この対象が観音様になります。
同行二人の巡礼者ともう一人は弘法大師以外でも、亡くなった家族や先祖、あなたが信じる如来や菩薩などのことを想っても良いとする教えもあります。
東司
東司(とうす、とす、とうじ、とんす、とっす等)とは禅寺で、御手洗いのことを指します。
禅宗寺院では、諸役僧を東と西の両班に分け、法堂で東側に並ぶ知事(寺院の雑事や庶務に当たる役職)を「東序」と呼び、西側に並ぶ頭首(前掲と同様)を「西序」と呼びます。
東序に属している僧が用いる御手洗いのことを「東司」「東浄(とうちん)」、西序に属している僧が用いる御手洗いのことを「西浄(せいちん、せいじょう)」としていました。
それが後に、寺院の東側にある御手洗いが「東司」、西側にあるものが「西浄」なのだからということで、拡大解釈されるようになり、南側にあるものを「登司(とうす)」とし、北側にあるものを「雪隠(せっちん)」と呼ぶようになりました。
南無
南無(ナム)とは、サンスクリット語のナマス(namas)・ナモー(namo)の語音を、漢字に置き換えたものです。ですから漢字を眺めていても意味が理解できないのです。
意訳すると、帰依・帰命・敬礼という意味で、命を捧げる、それほど大事に敬うというような意味になります。
一般的には、仏さまのお名前や経名に南無を付けて「私はその仏様や経に帰依いたしております」という、すなおな心を表現しているのです。
お遍路さんの背中にある南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)は真言宗で唱えます。
観音霊場は南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)
禅宗では南無本師釈迦如来大和尚(なむほんししゃかにょらいだいおしょう)、南無本師釈迦牟尼如来(なむほんししゃかむににょらい)と唱えることがあります。
浄土宗及び多くの浄土真宗系列宗派では南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
日蓮宗では南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)となります。
仁王像
仁王像(におうぞう)は雨風にさらされる中門・南大門・仁王門(二王門)・山門などの門内安置が多いため国宝指定の仁王像はたった3件のみです。
内訳は「東大寺三月堂像」、「東大寺南大門像」と「興福寺国宝館像」です。
その内、門内安置像は運慶が大仏師で参画した東大寺南大門像のたったの1件しか存在していません。
どうしても、門内安置像の場合、多くは常に風雨にさらされる正面の南向きに据えられるため風食が激しく痛ましい姿が多くなります。
当初、釈迦を守護する「執金剛神」が単独で祀られました。執金剛神とは甲冑で武装して金剛杵を持っている神と言うことです。
古代、釈迦の象徴と言えば舎利塔が一般的でありましたので執金剛神は塔を守るガードマンの役を担っています。
それが、門の左右に安置されるようになって執金剛神の分身が一対の仁王像と変化していきました。
門の左右に安置される2体一具が基本のところから二王とも称されます。
2体の違いは口の形にあります。
口を開けているのを阿形(あぎょう)、口を閉じているのを吽形(うんぎょう)と呼んでいます。
これは「狛犬」でもお馴染みで「阿吽の呼吸」の語源でもあります。
向かって右側・東側には阿形像、向かって左側・西側には吽形像を安置しているのが通例となっております。
阿吽形像の名称としては
阿形・・金剛、金剛力士、密迹金剛
吽形・・力士、密迹力士、那羅延金剛
現在では金剛力士像、仁王像、二王像などと呼びその両像を阿形像、吽形像という呼び方で区別されているようです。
納経と納経帳
お札所への納経(のうきょう)の仕方には、2つの方法があります。
1つは「読経」(どきょう)で実際に本堂や大師堂などでお経をよんで納経する方法。
もう1つが「写経」(しゃきょう)で、お経を書き写しお札所などに納める方法です。
しかし現代は、お札所に行った証として納経帳に納経してもらうというスタンプ・ラリーの要素が強調されているように感じます。
特に自家用車での遍路などはこの色合いが強いのではないでしょうか。
いきなりお札所に到着しての納経は本当はタブーです。
本来はお札所に納経をした後に、お札所で書きしるしをいただくものなのです。
これを繰り返し完成した納経帳を見返したときに、この1冊がとてもありがたいものになるはずです。
みなさんも時間やスケジュール、目的、ご自身にあった納経方法を実践してみて下さい。
坂東三十三カ所霊場
昔、難所だった足柄山や箱根の坂の東一帯を坂東と呼んでいました。
坂東三十三カ所観音霊場(ばんどうさんじゅうさんかしょかんのんれいじょう)とは、関東1都6県(神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県)にかけてある33か所の観音霊場のことです。
源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として今から 800年ほど前の鎌倉初期に坂東三十三ケ所観音霊場が開設されました。
第一番札所の杉本寺から第三十三番札所である那古寺までを巡拝すると、その道程は約1300キロメートルにもなります。この距離は四国八十八カ所にも匹敵します。
残念ながら四国のように巡礼道が確立されてないため、多くは車やバスを利用しての巡礼が基本となっています。
巡礼者は全ての札所を巡拝(結願)すると、善光寺および北向観音に「お礼参り」をすることが慣わしとされています。(上記2寺を参拝して結願とする場合もあります)。お礼参りの始まりは江戸時代とされています。
また、西国三十三箇所、秩父三十四箇所と併せて日本百観音のひとつの霊場でもあります。
白衣
白衣(びゃくえ)は袖のあるもの、笈摺(おいずる)は袖の無いものと大きく分かれています。
お遍路の場合背中には「南無大師遍照金剛」、百観音なら「南無観世音菩薩」と書かれています。
基本的には羽織るものですが、それとは別に御朱印専用の「判衣」としての白衣や笈摺もあります。
まだ着た事のない場合は抵抗があると思いますが、私はお遍路・巡礼をするのであればぜひ白衣・笈摺を着てほしいと思います。
着ることで気持ちがはっきりしてきます。
白衣を着たときから、「私もお遍路の仲間入りをした」という感じになるからです。
お寺で他の巡礼者にお会いしても挨拶を交わしている自分がいるものです。
お遍路さんは、白衣を着ていればみんなお友達の「わ」の意識が芽生えるものです。
移動中でも、「お遍路さん」とわかってもらえるので、安心です。
さらに、白衣を着て歩いていると、「がんばってね」なんてお声をかけてもらえるのは、くじけそうな時の心の栄養としてすごく嬉しいものです。
視線も温かいものを感じます。これも、白衣を着ている効果だと感謝しています。
番外札所
お四国での番外札所(ばんがいふだしょ)とは八十八札所以外の大師ゆかりの地や社寺を指します。
八葉山東朴院 |
一番奥ノ院種蒔大師 |
五百羅漢 |
五番奥ノ院 |
柳水庵 |
やなぎのみずあん又はりゅうすいあんともいう |
一宿山一本杉庵 |
一本杉 |
杖杉庵 |
つえすぎあん又はじょうしんあんともいう |
慈眼寺 |
二十番奥ノ院 |
八坂寺 |
鯖大師 |
妙色山安楽寺 |
三十番奥ノ院 |
竜光院 |
四十番奥ノ院 |
十夜ケ橋永徳寺 |
十夜ケ橋 |
金山出石寺 |
出石寺 |
大法山徳盛寺 |
文殊院 |
生木山正善寺 |
生木地蔵 |
摩尼山延命寺 |
いざり松 |
邦治山常福寺 |
椿堂 |
屏風浦海岸寺 |
屏風浦の大師 |
医王山七仏寺 |
七仏薬師 |
捨身ケ嶽 |
七十三番奥ノ院 |
高野山 |
金剛峰寺奥ノ院 |
また、上記と重複する寺院もありますが、四国別格二十霊場も存在しております。
西国巡礼では開始 ・発展に関係のある寺院が番外札所になっています。
発起院 |
八番長谷寺の次 |
徳道上人を祀っている寺院 |
元慶寺 |
十四番三井寺の次 |
花山天皇が剃髪・出家なさった寺院 |
花山院 |
二十四番中山寺の次 |
花山法皇が隠棲された寺院 |
日本百観音(西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所)の番外札所は長野の善光寺が有名です。
札所
なぜ、霊場のことを札所(ふだしょ)というのでしょうか?
それは、もともとは本尊を安置する堂宇の柱などに、金属製や木製の納札に祈願、名前、生地などを記して打ち付けたことから札所と言われるようになりました。
その名残で、札所寺院を参拝することを「打つ」と言います。
今ではこのように札を打つことはなく、紙の納札を納札箱に納めるようになました。
札所を打ち、納経した証として御朱印・納経を頂きます。
遍路
日本には様々な巡礼がありますが、お四国での巡礼だけが「遍路(へんろ)」とよばれるのです。
それはなぜなのでしょう?
それは平安時代のころ四国の海岸で修行する様子が、お遍路という言葉の由来に関係しているのです。
当時、修行が行われていた海岸沿いの道や土地のことを「辺地」(へち)と称しているという点です。
この「辺」という言葉が端や外を示すことから、この文字が「邊」や「遍」に置き換えられて使われていったのではないかという説です。
今では「遍路」の一語で『四国を巡礼すること』を指す言葉として使われていますが、この語源は昔から四国にあった、海辺を修行する土地やその道を指す「辺地」・「辺路」からきていると考えられています。
私は、そのスタイルから四国以外を巡礼する人そのものを愛情をこめてお遍路さんと呼んでも良いと考えております。
大切なのは、本来の意味を理解した上での表現だと思います。
遍路ころがし
歩き遍路さんを泣かせる行程の険しい難所のことで、文字通り急斜面をころげ落ちることを意味しています。
特に四国11番 藤井寺〜12番 焼山寺の道は最初の難所として体と心を挫くところです。
道しるべを頼りにただひたすら歩き通し、焼山寺に辿り着いた時には、これからの道のりもがんばれるという気分にしたれるはずです。
徳島県では「一に焼山、二にお鶴、三に大龍」といわれ19番 立江寺〜20番 鶴林寺〜21番 太龍寺への道のりもそう呼ばれます。
他では標高750mの石鎚山にある60番 横峰寺、標高910mの雲辺寺山山頂にある66番 雲辺寺が遍路ころがしと呼ばれている難所になります。
発願
発願(ほつがん)とは、最初のお寺を打つことです。
お遍路・巡礼はどこから打ち始めても自由なので、巡礼を始めた寺がその人にとっての発願寺となります。
ぜひ巡拝する目的に対しての決意を新たに巡礼をしていただきたいと思います。
その願いが、結願した時の達成感を倍加すると思えるからです。
坂東三十三観音霊場の第一番の杉本寺では、ご朱印に「発願」という丸印を左上に押してもらえます。
四字熟語の廻向発願(えこうほつがん)は、自らが積んだ功徳(善行)を人々や他のものに振りむけて、浄土に生まれようと願う心を起こすという意味です。
仏事法要を営んでその功徳が死者の安穏をもたらすように期待することでもあります。
梵字
梵字(ぼんじ)はインドで使用されるブラーフミー文字の漢訳名です。
ブラーフミーは「ブラフマン(梵)の創造した文字」を意味します。
また、単に「梵語(サンスクリット)を表記するための文字」とも解されます。
右の梵字は弥勒菩薩(みろくぼさつ)を表す種子字です。
種子字とは梵字の1字1字に仏教の教義を表わす意味があり、また仏尊を表したりする梵字です。
お遍路さんに出るともっともポピュラーな梵字でもあります。
その意味は、お大師さんを表す種子字でもあるからです。
なぜお大師さんを表すのかというと、お大師様が入定の際に、「兜卒天(とそつてん・釈尊がこの世に生まれる直前にいたとされる場所)に赴かん」と話されたことに由来しています。
上の梵字は「ユ」と発音します。
この梵字は聖観世音菩薩を表す種子字です。
百観音巡礼にはこの梵字が使われます。
観音菩薩は私たちを救うためにその姿を変えるといわれています。
六観音や三十三観音といった変化観音として親しまれています。
梵字は「サ」と発音します。
煩悩
煩悩(ぼんのう)とは、仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ、智慧をさまたげる心のはたらきを言います。
煩悩の根源(人間の諸悪の根源)は貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに・しんい)・愚痴(ぐち)の三つとされ、これをあわせて三毒と呼びます。
欲望や執着、怒り、ねたみなどの心の動き煩悩を消滅させることで、悟りを開くことができるといわれています。
俗に煩悩は108あり、除夜の鐘を108回衝くのは 108の煩悩を滅するためと言われますが、実際には時代・部派・教派・宗派により数はまちまちです。
ちなみに四国88カ寺と番外20カ寺を足して108になります。
Copyright (C) 2007-2012 Kokoro Henro All Rights Reserved.
※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます。