さ行 覚えておこうよ 遍路・巡礼関連 用語集
賽銭
お賽銭(さいせん)とは、祈願成就のお礼として仏様や神様に奉る金銭のころです。
また、寺社に詣でる際に奉納する金銭で、同じ志を持つ人々が集まり祈る場所を維持するのに役立ちます。
「賽」は神恩に報いる祭儀の意味です。
その昔は金銭ではなく布や武具・お酒・米などを供えました。
ですから賽銭は神に奉げる供物の一種でもあります。
お賽銭はこの善行に対してご利益が生まれるのです。
仏様や神様は、お賽銭の額によってご加護の加減をされるのではなく、祈る人の真実な心、誠実な行い、着実な努力に対して、ご加護下さるのです。
よくご縁をいただくので5円を供える方がいますが、1年分の喜捨です。
最低でも「ご縁が十分に」という意味で50円以上は備えたいものです。
喜捨は清らかな心で喜んで自分の持てる力を捨てることです。
捨てるとは、見返りを求めないという意味です。
また賽銭箱に賽銭を投げ入れる方がいますが、しずかに滑らすように備えてください。
参拝者は賽銭箱に金銭を投入した後、寺院なら合掌、神社なら拍手をし、目を閉じながら仏様や神様への願い事やお礼を心の中で唱えます。
散華
散華(さんげ)とは、仏や菩薩が来迎した際に、讃嘆するために大衆や天部の神により華を降らしたという故事にちなんで行われる行事です。
寺院で法要をする時に、仏を供養するため花や葉を撒き散らします。法要に散華を行うのは、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させ、道場を清めて仏を迎えるためとされます。
元々は、蓮などの生花が使われていましたが、現在では蓮の形を模った色紙で代用することが多くなりました。その形からも分かるように蓮華を模しています。
よく入仏開眼や寺院の落慶法要では僧侶により色とりどりの大量の散華が撒かれ、見ごたえがあります。
四国別格二十霊場を参拝した際に、納経を頂くと心経散華を頂くことが出来ます。
また今、秩父三十四カ所観音霊場でも御開帳期間(7月18日まで)に納経を頂くと花浄土のテーマで記念の散華を頂くことが出来ます。
散華をコレクションする人々も存在するくらいです。
山号
高野山金剛峰寺、比叡山延暦寺などの高野山、比叡山などが山号(さんごう)であります。
たとえば高野山と言えば、それは山の名前ではなくて寺院名を指していることになります。
全ての寺院に山号があるのかと言えばそうではありません。
飛鳥・天平時代に建立された法隆寺や唐招提寺などの南都七大寺には、山号はありません。
寺院の山号に付いては、中国の禅宗などの寺院制度にその由来があると言う説があります。
従って、インドやスリランカ、タイなどの南伝仏教の地域では山号ありません。
日本の場合は、空海も最澄もそれ以前から霊山と呼ばれる山岳で修行を行っており、その山に寺院を建立し、霊山の名称そのものを寺院名に付与する事で、自然の霊力を寺院にも与えようとしたのではないかと推定されます。
また、霊山以外の地域については、大乗仏教の『法華経』など様々な経典をお釈迦さまが霊鷲山(りょうじゅせん)で説法した事によるものと推定されます。
従って、釈迦如来ではなく、阿弥陀如来を本尊とする浄土系仏教の寺院の場合は、山号がない寺院も存在します。
三信条
三信条(さんしんじょう)とは、四国八十八カ所のお遍路で、心に固く信じなければならない大切な3つの事柄の事です。
▼四国八十八ヶ所遍路の三信条
1)摂取不捨のご誓願を信じ、同行二人の信仰に励みましょう
「悩めるもの、苦しむものが最後の一人になるまで救い尽くすであろう」と言うお大師さんの言葉を信じて、巡拝中は常に「お大師さん」と共に寝食をする思いでお参りしましょう。
このことからお遍路さんに出会ったら互いに合掌しあう心が大切です。
2)何事も修行とこころえ愚痴・妄言をつつしみましょう
「千年の功徳もわずかの怒りに消える」とお経には説かれています。
巡拝中に起こった嫌なことやアクシデントは自らに与えられた試練・修行だと受け止め、心を安らかにし、愚痴や虚言をいわないことに勤めましょう。
3)現世利益の霊験を信じ,八十八使の煩悩を消滅しましょう
現世利益とは、お金儲けや出世など世俗的な欲望を満たすことではなく、この世で受ける「仏の恵み」のことです。
仏の恵みがあることを信じて、札所を巡拝することで88の煩悩を1つずつ消し去っていこうという意味です。
参拝
霊場でお参りをする一般的な方法です。厳密な決まりはありません。
しかし、単なるお札所を巡るスタンプラリーにならないためにも、私は大切にしております。
手順は弘法大師が開いた真言宗の作法を基本をしているそうです。
■手順
1)山門で一礼します
2)手と口を清める
3)鐘を突きます
本堂へ向かう
4)納め札を納める
5)灯明をあげる
6)線香をあげる
7)お賽銭をあげる
8)お経を読む
9)納経をする
10)山門前で合掌、一礼。
四国遍路の場合は大師堂でも 4)〜8)を繰り返したあと9)10)になります。
菅笠
お遍路・巡礼をする際の象徴として「菅笠(すげがさ)」は必須アイテムです。お遍路さんは杖を持ちますので、手を使わずに雨風を防げぎ、日の暑さから守ってくれる菅笠は大変重宝します。高さが浅く、足場の悪い山道などを歩いても、視界を遮らないようになっています。
菅笠には次の6つの言葉が書かれています。
「悟故十万空」・「迷故三界城」・「同行二人」・「何処有南北」・「本来無東西」それとお遍路用は弘法大師を表す梵字、観音巡礼は観世音菩薩を表す梵字が書かれています。
すげ笠に書かれている文字の意味は、自然や宇宙の中には永遠の命があり、精進や修行を重ねながら自分もまた無限の命と一体化していこうという遍路の決意を示されています。
手ぬぐいなどを頭にまいて梵字が正面にくるようにかぶります。
菅笠のすげは、素材のカヤツリグサ科スゲ属の大型植物のスゲで出来ていることから名づけられました。
雨の日に笠にあたる雨音は自然とともに生きていることを教えてくれるようです。
日差しの強い日はUV対策にも適している菅笠をお勧めします。
頭陀袋
頭陀袋(ずたぶくろ)は、いろいろ物が入れられる、首からかけるショルダーバッグ型の万能袋のことです。
頭陀とは、インドの語の「ドゥータ」の音訳で「ふるい落とす」という意味になります。
煩悩(ぼんのう)の垢(あか)をふるい落とし、衣・食・住の三つについての欲望を打ちはらう修行を頭陀行といい、修行や托鉢に出かけるときに首に架ける袋を頭陀袋と読んでいます。
このような頭陀袋が、お遍路さんが一般に用いる肩掛け袋の名前としても使われているのです。
地蔵菩薩
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は「お地蔵さん」の愛称で知られ、仏教の信仰対象である菩薩の1人です。
kuksi(大地)と、garbha(胎内、子宮)の合成語からきています。
その意味は大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、救う所から名付けられたとされます。
仏教の枠組を超えて多くの日本人に愛されています。
その姿は剃髪して袈裟をはおった僧の姿で、右手に錫杖、左手に宝珠を持つのが一般的です。
通常「菩薩」と名の付く仏様は、冠やブレスレット、ネックレスなど派手な装飾品をつけていますが、お地蔵さまはシンプルなものが多いのです。
また他の仏さまは成人の姿ですが、お地蔵さまは子供のような可愛らしい姿が基本です。
「子供の守り神」として信じられており、よく子供がよろこぶお菓子が供えられています。
日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られます。
これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれた信仰からきています。
六地蔵の個々の名称については一定していませんが、
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道の順に
檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、
金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いです。
いずれにしても、像の姿形からそれぞれのお地蔵さんがどれに当たるかを判別することはほぼ不可能でもあります。
ご真言 おん かかか びさんまえい そわか。
十句観音経
『十句観音経(じっくかんのんぎょう)』は、たった42文字の短いお経で、仏経の全経典の中でもっとも短いものです。
観音霊場では般若心経と共に本堂で唱えます。
何回かお経をあげていれば、自然と覚えてしまうほどテンポのよいお経でもあります。
治る見込みがないと医者に見離された重病人が、この経典を千回唱えたら、奇跡的に回復したという話から、『延命十句観音経(えんめいじっくかんのんぎょう)』とも呼ばれています。
この平易なことばの中にこそ仏智のエキスが凝縮されているきらりと光るお経なのです。
『十句観音経』と読み方
かんぜおん なむぶつ
観世音 南無仏
よぶつういん よぶつうえん
与仏有因 与仏有縁
ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう
仏法僧縁 常楽我浄
ちょうねんかんぜおん ぼねんかんぜおん
朝念観世音 暮念観世音
ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん
念念従心起 念念不離心
『十句観音経』の意味
観世音菩薩よ。み仏よ。帰依いたします。
私は仏とともにある因や、仏とともにある縁で生かされています。
仏法僧の縁によって、常に楽しくきよらかな悟りの境地を与えてください。
朝に観世音菩薩を念じ、夕に観世音菩薩を念じます。
その一念一念はたえず心の中にあり、心が観世音菩薩から離れる事はありません。
七福神
みなさんご存知の七福神(しちふくじん)は、一般には次の神様で構成されています。
恵比寿 商売繁盛の神
大黒天 豊作の神様
毘沙門天 勝負事の神様
弁才天 学問・芸術と財福の神様
福禄寿 福徳・長寿の神様
寿老人 長寿と幸福の神様
布袋 開運・良縁・子宝の神様
この組み合わせは日本ならではの文化といえます。そもそもインドのヒンドゥー教の(大黒天・毘沙門天・弁才天)、中国の仏教(布袋)、道教の(福禄寿・寿老人)、そして日本の土着信仰の(恵比寿)が入り混じって形成された、神仏習合からなっているからです。
はじまりは室町時代末期頃といわれ、お正月の風物詩として全国で七福神巡りが催されます。
七福神の中には、寿老人と福禄寿はともに南極老人星の化身とされることから、この二者は本来同一のものとみなして、寿老人の代わりに吉祥天や猩猩(しょうじょう)などが入れられているところもあります。
おめでたい存在とされ、正月に枕の下に七福神の乗った宝船の絵を入れておくと良い初夢が見られるなどとされています。
写経
写経(しゃきょう)とは、仏教において経典を書写することです。またはその書写された経典のことを指します。
写経は、印刷技術が発展していなかった時代には仏法を広めるため、またはひとつの寺院でも複数の僧侶で修行・講義・研究するために必要なことでありました。
その後、写経することに功徳があることが説かれるようになり、一般にも広がりました。
現代日本の各寺院では、写経と言えば、『般若心経』を写経することを指すのが一般的になっています。
お遍路・巡礼では供養や諸願成就を祈願し、札所に写経を納経します。
この場合『般若心経』や『十句観音経』などを書写します。
実際に写経することで、自分と向き合える時間を持つことが可能になります。
うまく書くことより、時間をかけても書き上げることが大切だと思います。
お寺によっては写経の会を主催しているところもありますので、探してみてはいかがですか。
十三仏
十三仏(じゅうさんぶつ)とは、私たちにもっとも身近で、古くから信仰される13の尊い仏さまのことです。
この世に生きている人の守り本尊であると同時に、先祖供養の仏さまでもあります。
初七日から三十三回忌までの合わせて十三回の法要の守護仏をさします。
法要は故人を偲び、冥福を祈るために営むものです。
主にお寺の本堂にご本尊として安置してあります。
十三仏真言として、お持ちの経本に書かれています。
十三仏を構成している仏様と法要の関係は
初七日(七日目) 不動明王
二七日(十四日目) 釈迦如来
三七日(二十一日目) 文殊菩薩
四七日(二十八日目) 普賢菩薩
五七日(三十五日目) 地蔵菩薩
六七日(四十二日目) 弥勒菩薩
七七日(四十九日目) 薬師如来
百か日(百日目) 観世音菩薩
一周忌(一年目) 勢至菩薩
三回忌(三年目) 阿弥陀如来
七回忌(七年目) 阿シュク如来
十三回忌(十三年目) 大日如来
三十三回忌(三十三年目) 虚空蔵菩薩 です。
また「干支」の守護仏としても名を連ねています。
子 観世音菩薩
丑・寅 虚空蔵菩薩
卯 文殊菩薩
辰・巳 普賢菩薩
午 勢至菩薩
未・申 大日如来
酉 不動明王
戌・亥 阿弥陀如来
京都・大和・神戸・鎌倉・秩父など日本全国に、十三仏巡りの霊場があります。
十善戒
十善戒(じゅうぜんかい)とは、お遍路を歩むにあたっての心構えのことで、お経としても唱えるものです。
この十の善行を行えば幸福になれると説いています。
お経は
弟子某甲(でじむこう) 尽未来際(じんみらいさい)
不殺生(ふせっしょう) 不偸盗(ふちゅうとう)
不邪婬(ふじゃいん) 不妄語(ふもうご)
不綺語(ふきご) 不悪口(ふあっく)
不両舌(ふりょうぜつ) 不慳貪(ふけんどん)
不瞋恚(ふしんに) 不邪見(ふじゃけん)
意味は
不殺生(殺さない) 不偸盗(盗まない)
不邪淫(邪淫しない) 不妄語(嘘をつかない)
不綺語(お世辞をいわない) 不悪口(悪口をいわない)
不両舌(二枚舌をつかわない)不慳貪(欲張らない)
不瞋恚(怒らない) 不邪見(不正な考えをしない)
となっています。
どれもが出来そうでなかなか出来ないのが現実です。
せめて、お遍路・巡礼中でも実行したいものです。
巡礼
巡礼(じゅんれい)は、聖地を巡るという宗教的行為のことを指します。
本来の意味は、宗教等において重要な意味を持つ聖なる地(発祥の地など)に赴くことです。
平安時代の願掛けを中心とした神社参詣がその初期形態ではないかとされています。
その後仏教の末法思想の流行により、後白河法皇の熊野詣でなど浄土信仰を背景とした極楽往生を願う巡礼へと変化します。
中世に入ると、戦乱や貧困の中で一般階級による巡礼も行なわれるようになりました。
近世に入ると平和な世の中を反映して、人々は現世利益を求めるようになり、旅行の要素も加わって大衆化しました。
現在四国では、先達と呼ばれる宗教的・ガイド的な役割もになう人たちが、宿坊と共に巡礼者(おへんろさん)を案内しています。
巡礼と同じような意味の言葉に巡拝(じゅんぱい)があります。
正式には巡礼は宗教色が強く、巡拝はどちらかと言えば観光や娯楽の意味合いが強いとされていますが、今では明確な区別はありません。
心遍路でも巡礼・巡拝を同じ解釈で使用しています。
精進落とし
精進(しょうじん)おとしは、遍路・巡礼で結願後に、非日常の世界から普段の生活に戻るときに行う儀式です。
「精進」とは、仏教では八正道の一つ、または六波羅蜜の一つで、修業に勤めはげむとか、悪を断ち善を行うという意味になります。
一般的には酒を飲んだり、魚や肉を食べたりして、無事に巡礼ができたことに感謝して祝うものです。
西国三十三カ所観音巡礼第33番札所華厳寺の本堂入口左右の向拝柱に取り付けてある青銅製の鯉の像は、満願結願の寺の「精進落としの鯉」があります。
巡礼者が満願結願の記念に触れることで精進おとしになると言われています。
お礼参りをする場合は、その後に精進おとしを行います。
精進料理
精進料理(しょうじんりょうり)とは、仏教では僧は戒律五戒で殺生が禁じられています。大乗仏教では肉食も禁止されたため、僧への布施として野菜や豆類、穀類を工夫して調理したベジタリアン料理のことです。
しかし、四国の宿坊では刺身が出るところが多々あります。
これは地元でとれる食材を使ってもてなすという意味でとらえているからです。現在の観光お遍路さんにとって数日間の野菜のみの食事も苦痛のようで、私は苦肉の解釈と考えています。
個人的には、お遍路・巡礼の宿坊では本来の精進料理を食べたいと願っている一人です。
精霊送り
精霊送り(しょうりょうおくり)は、お盆の終わる日に、送り火を焚いて精霊が帰るのを送ることです。たまおくりや仏送りとも言います。
15日の夜または16日が送り盆にあたります。
京都の大文字焼きで有名な「五山の送り火」や「嵐山精霊送り万灯流し」も精霊送りの行事です。
昔ヒットしたグレープの「精霊流し」も精霊送りを歌ったものです。
宿坊
宿坊とは、社寺参詣者のために境内に建てられたお宿。誰でも気軽に宿泊することができ、中には、勤行、写経、座禅の体験ができる宿坊もあります。
さらに国宝重文級の建築物や庭園が見られるところもあります。そして手ごろな価格で泊まれることも大きな魅力です。
四国八十八カ所の霊場では下記のお寺に宿坊があります。
但し収容人数がまちまちですので事前の予約をお勧めします。
■阿波霊場(徳島県)
2番札所 極楽寺、6番札所 安楽寺、7番札所 十楽寺、12番札所 焼山寺、13番札所 大日寺、19番札所 立江寺、23番札所 薬王寺
■土佐霊場(高知県)
24番札所 最御崎寺、26番札所 金剛頂寺、37番札所 岩本寺、38番札所 金剛福寺、39番札所 延光寺
■伊予霊場(愛媛県)
44番札所 大宝寺、56番札所 泰山寺、58番札所 仙遊寺、61番札所 香園寺
■讃岐霊場(香川県)
75番札所 善通寺
81番札所 白峰寺は団体の方専用です。
四国は宿坊のあるお札所が多いのですが、西国・坂東・秩父にはほとんどありません。巡礼をするには宿の確保がかかせません。
そして、宿坊に泊まりたくなったら、「宿坊研究会」をチェックです。
宿坊研究会のホームページはこちら
↓ ↓ ↓
http://syukubo.com/
数珠
数珠(じゅず、ずず)は、穴が貫通した多くの珠に糸の束を通し輪にした法具です。
仏を念ずる時に用いる珠との意味から「念珠(ねんじゅ)」とも呼ばれます。梵語で「ハソマ」といいます。
念仏の際に音を立てて揉んだり、真言・念仏の回数を数えるのに珠をひとつづつ操っていく目的などで用います。
※念仏の回数を問題にしない浄土真宗の場合は、仏前での崇敬の念の表れとして用います。爪繰(つまぐ)ったり、擦り合わせて音を出す事はしません。
多くは煩悩の数である108個の珠でできているものが多く、半分の54個、さらに半分の27個などがあります。
珠の種類も金・銀・銅・水晶・珊瑚・真珠・菩提樹・蓮の実・栴檀・象牙などさまざまにあります。
起源は諸説ありますが、古代インドのバラモン教で用いられていた道具を原型とするとされています。それが、お釈さまにより用いられ、後に中国に伝わりました。そして仏教伝来とともに飛鳥時代には日本に伝わったとされています。鎌倉時代に入り、浄土教が流行し称名念仏が盛んになるとともに一般にも普及しました。
最近では腕輪念珠(腕珠)と呼ばれる、数珠を小型化し中糸をゴムなどにして腕に着けられるようにしたブレスレット的な数珠もあります。
持鈴
お遍路・巡礼の旅に持参する鈴のことを持鈴(じれい)と言います。鈴の音には、お遍路さんの煩悩を払い、心を軽安に導くと言われています。また読経の際に、節に合わせて振られる楽器でもあります。
お四国では、このお遍路さんが鳴らす鈴の音は春を告げる音として心に染み付いている音だそうです。
もともと持鈴は、歩き遍路の際の熊などの獣除けとして使っていました。さらに、鈴の音により虫が逃げますので、誤って虫を踏みつけて殺生をすることの防止や、山中での蛇よけにもなるのです。
人によっては鈴を鳴らしながら歩かないようにと言う人もおりますが、芹洋子さんが歌う『鈴の音山河』でもあるようにお遍路さんの鈴は、良き日本の風物詩であると思います。
信仰
信仰(しんこう)とは、何らかの神聖な存在を信頼し大切にする意識・心情のことです。
信仰のことを仏教においては「信心(しんじん)」と呼ぶことが一般的であります。
「宗教」という語が、組織や制度までも含めて指す包括的な語であるのに対し、「信仰」や「信心」は人(あるいは人々)の意識に焦点をあてた語になります。
日本人には本来信仰心が宿っていたはずです。
昨今、信仰と宗教が混同して扱われ、お寺を使った教育などが規制されている事実があります。
手を合わせる文化をいつまでも継承していきたいものです。
真言
真言(しんごん)とは、大日経などの密教経典に由来し、真実を伝える仏の言葉という意味です。
サンスクリット語のマントラを和訳したもので、密教の諸尊佛を拝するとき唱える呪文のようなもの(祈りの言葉)です。
真言そのものは、音が重要であることから多くは翻訳せず音写を用いられます。また真言宗を略して真言と呼ぶこともあります。
弘法大師が、自ら開創した宗派に真言宗と名付けたのは、この真言こそ仏の言葉と信じたからです。
代表的な語真言
大日如来 おん あびらうんけん ばざら だどばん
薬師如来 おん ころころ せんだり まとぅぎ そわか
阿弥陀如来 おん あみりた ていせい からうん
観世音菩薩 おん あろりきゃ そわか
十一面観世音菩薩 おん まか きゃろにきゃ そわか
ちなみに「おん」とは、真言のはじめにつける慣用句で、「帰命する」という意味があります。密教では、一切法門の根元、大日如来の真身をさします。
施餓鬼
施餓鬼(せがき)は、餓鬼道の世界に落ちて苦しんでいるものに、飲食を施すという意味で、すべての生き物の生命を尊ぶことを教えています。
『施餓鬼会(せがきえ)』は、僧侶たちの読経、廻向によって、餓鬼の苦しみから脱しせしめんとする法会です。通常、お盆の時期に行われますが、本来は特定の日に限定されるものではないようです。
施餓鬼の由来は、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつくばつえんくがきだらにきょう)』という経典がもとになっていると言われています。お大師さまによって日本に伝えられました。
これによると、お釈迦様の十大弟子で多聞第一と称される阿難尊者(アーナンダ・あなんそんしゃ)という方が、静かな場所で瞑想していると焔口(えんく)という餓鬼が現れ『お前は三日後に死に、そして私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言いました。
驚いた阿難尊者は、どうしたらその苦をのがれることができるかと、餓鬼に訪ねました。
餓鬼は『無数の餓鬼たちに飲食を施し、仏のさとりを供養してほしい。そうすれば自分や餓鬼道で苦しむ者達は救われ、お前の生命ものびるであろう。』と答えました。
阿難尊者は、お釈迦様に助けを求めました。するとお釈迦様は『施餓鬼棚に山海の飲食をお供えし、僧達と共に施餓鬼会の法要をしなさい。そうすればすべての餓鬼に施されるであろう』と言われました。
阿難尊者はお釈迦様の教えに従い多くの修行僧達と共に、お供え物をし供養をしました。
その結果、阿難尊者の生命は救われお釈迦様の弟子の中で最も長生きをしました。これが、施餓鬼の由来とされています。
関所寺
関所寺(せきしょでら)とは、お大師さまの審判を受けるところで邪悪なものは先に進めないといわれているお札所のことです。
四国の各県に一カ所づつ関所寺があり、それぞれがその県で一番の難所となっています。
徳島県は第19番立江寺、高知県は第27番神峰寺、愛媛県は第60番横峰寺、香川県は第66番雲辺寺と定められています。
立江寺には、昔、夫を殺し男と逃げてきた女がこの寺に辿り着き、鐘楼門の鐘の緒に髪が絡み付き肉ごと剥がれたという伝説があり、今も肉付き鐘の緒が安置されています。
関所寺は、『心の関所』とも言えるもので、日頃の行いや信仰心が試されるものです。その意味で自己反省を促されるお札所といえます。
線香
線香は線香立ての中央から順次外側へとお供えしていきます。
これは他の参拝者のためのマナーです。
線香に火をつけることは意外と難しいものです。実際やってみると、風があってなかなか火が点きません。だからといって他の人のローソクから火をつけることは、人の災難をもらうことになると言われています。
線香は身・口・意、又は過去・現在・未来を供養する意味で1回につき3本立てます。
最近、様々な香りがありますが、フルーツ系の香りはお札所では違和感がありました。実際試しての感想です。
私なりには煙の少ないものが良いと思います。
実際読経をしている際に、風向きによりむせるくらいの煙で咳ごんでしまうことがあるからです。
善光寺のご開帳
ご開帳は寺院のご本尊を一般の人々に公開することを言います。
昨年は、西国三十三観音霊場や秩父三十三観音霊場、浅草の浅草寺などが話題になりました。
2009年はなんといっても長野の善光寺が7年ぶりのご開帳です。
期間は4月5日(日)〜5月31日(日)です。
鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162〜1241)の日記「明月記」に、京都で善光寺の分身仏を鋳造し、公開して人々が群集し、この時、禁中に参内して天皇さまや奥向きの人々に叡覧させたという記述があります。
この記録で京都における善光寺如来の信仰が新仏鋳造の流行と共に盛んであった様子を知ることができます。
我が国最初の御開帳といわれております。
善光寺の御本尊は絶対秘仏と呼ばれています。善光寺の住職であっても見ることができないのが善光寺の御本尊なのです。
それでは今回のご開帳で対面できるのは誰なのか?ということなのですが、それは、ご本尊の身代わりである前立本尊さまになります。
善光寺の前立本尊は、ご本尊を模して造られたもので、御本尊とほぼ同じ形をしていると言われています。
前回のご開帳時には600万人の人が会いにきました。
西国三十三観音霊場でも引き続き2010年5月まで結縁御開帳が開催されます。
この期間までしか見られないご開帳を、ぜひ訪ねてみると良いと思います。
心遍路でも4月に善光寺と北向観音参拝の企画を開催予定です。
善光寺御開帳公式ガイドブック →
http://jpan.jp/?zenkouji
善根宿
善根宿(ぜんこんやど)は、お遍路さんに無料で宿を提供してくれるお宅や施設のことです。
基本は宿泊だけですが、食事まで提供してくださるところもあります。
善根宿はお四国の住人の信仰などに基づく行為ですから、この宿を当てにするのではなく「ご縁があれば、ありがたくお世話になる」の心持で利用すると良いと思います。
先達
先達(せんだつ)とは初心者の巡拝者を案内し、お参りの指導や巡拝のお世話をする遍路経験者のことです。
四国八十八カ所霊場会によって認定されています。現代の歩き遍路は、ガイドブックやインターネットなどで情報を収集して歩くのが普通ですが、バス遍路や車でのグループ遍路では、先達さんの指導の下に八十八カ所を巡ることが多いようです。
先達さんが同行していると、読経の仕方や巡拝の作法などを詳しく指導してくれます。また札所間の移動中には色々とお遍路に関する話を聞けたりするというメリットがあります。
遍路のスタイルは千差万別で厳密な決まりはないとはいうものの、ひとりよがりの遍路にならないためには、一度は先達さんに導かれた遍路を経験するとよいのかもしれません。
四国遍路の先達制度は四国八十八カ所霊場会の決まりで下記のようになっています。
●元老大先達 寺院住職で定員5名 現在、不在。
●特任大先達 大先達から推薦。4部会すべての承認。定員10名。
●大先達 権大先達を3年以上、巡拝3回以上。信仰心・人格。
●権大先達 中先達を3年以上、巡拝3回以上。信仰心・人格。
●中先達 権中先達2年以上、巡拝2回以上。大師信仰堅固。
●権中先達 先達2年以上、巡拝2回以上。大師信仰堅固。
●先達 巡拝4回以上。遍路先導経験豊富な者。
約7000名以上の先達さんが公認されています。
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