か行 覚えておこうよ 遍路・巡礼関連 用語集
開基
開基(かいき)とは寺院を開創した僧のことで一般には初代住職を指します。
開山とも言います。
寺院や宗派、特に禅宗では、「開基」と「開山」に区別する場合があります。
その場合、一般に「財政的な支援により建立を可能にした世俗の者」を開基、「初代住職」を開山、と使い分けます。
四国八十八箇所では弘法大師が39、行基菩薩が27とこの二人が大半を占めています。
西国三十三箇所では聖徳太子が4、弘法大師が1、行基菩薩が2です。
開経偈
開経偈(かいきょうげ)は、お経を開いて読経する前に唱えます。
無 上 甚 深 微 妙 法 むじょうじんじんみみょうほう
百 千 万 劫 難 遭 遇 ひゃくせんまんごうなんそうぐう
我 今 見 聞 得 受 持 がこんけんもんとくじゅじ
願 解 如 来 真 実 義 がんげにょらいしんじつぎ
【現代語訳】
この上もなく深く尊いこの教えにめぐり合うことは、とてつもなく長い長い年月の中でもなかなか難しいことなのに、今、私はこうしてこのお経をいただくことができました。
このご縁を大切にして、仏さまの教えの真実の意味を理解するように、つとめたいと願っています。
そして、今からありがたいお経を唱えさせていただきます。
現代語訳=福本正幸
戒壇めぐり
戒壇(かいだん)めぐりとは、お寺の本堂や仏堂などの地下の暗いところを手探りでまわることで、有名なのは長野の善光寺のものです。
この暗黒の世界を静かに進んでゆくことによって、これまでの自分自身を省みて、積み重ねた罪障を取り除くための精神修養の道場になっています。
四国八十八カ所の札所では、35番清滝寺、51番石手寺、75番善通寺で戒壇めぐりができます。
善通寺の戒壇めぐりは本格的で、御影堂の地下に約100メートルの暗闇の道が続いております。中ほどには科学的に再現されたお大師さんの声が聞けます。
関東では玉川大師(東京都二子玉川園)、井口院(東京都三鷹市)、安養院(東京都目黒区)、岩槻大師(埼玉県岩槻市)などがあります。
重ね印
重ね印 (かさねいん) は、すでに納経朱印を受けた納経帳に二回目以後の巡礼の際に重ねて朱印を受けることをいいます。重ね判ともいいます。
初めての納経の場合は黒書での記入し朱印を受けますが、二回目以降は朱印のみを頂きます。
約10回の巡拝でほぼ全体が赤くなってきます。
50回以上の場合は墨字も見えなくなるほどです。
やはり、巡った分だけ納経帳が宝物になっています。
花山法皇
巡礼・お遍路の歴史でもっとも古いのが西国三十三カ所です。
奈良時代初期に大和長谷寺の徳道上人によって観音霊場三十三ヶ所の宝印を石棺に納めたという伝承が始まりと伝えられています。
西国霊場の中興の祖と仰がれるのは、花山法皇(968−1008)です。
平安時代中期に第65代の天皇として2年間在位した後19歳のときに出家され、摂津国の中山寺(兵庫県宝塚市)で徳道上人が納めた宝印を探し出し、紀伊国熊野から宝印の三十三の観音霊場を巡礼し修行に勤め大きな法力を身につけたといわれています。
この花山法皇の観音巡礼が西国三十三カ所巡礼として現在でも継承されており、各霊場で詠んだ御製の和歌が御詠歌となっています。
このように天台真言などの高僧や修験者らの間では修行の場を求めて、諸霊場を遍歴する人たちが多かったものと思われます。これらの人々によって西国の札所巡礼が益々盛んになりました。
合掌
合掌(がっしょう)とは、インド起源の礼拝の仕草で、両手のひらを胸または顔の前で合わせるもっとも基本的なお参り方法です。
右手は仏の象徴で、清らかなものや知恵を表します。
左手は衆生、つまり自分自身であり、不浄さを持ってはいますが行動力の象徴です。
両手を合わせることにより、仏と一体になることや仏への帰依を示すとされています。
他人に向かって合掌をすることは、その方への深い尊敬の念を表します。
日本では仏教に関する儀式の際に行われるだけでなく、食事の前の挨拶などにも使われます。
また、お詫びをするときやお願いをするときに、相手を持ち上げるための仕草として使う場合もあります。
神道では柏手として手を打ち合わせますが、その後は両手を下ろし、お辞儀して礼拝をします(神道の礼拝では本来、合掌はしません)。
さらに「合掌」という言葉は、日本語での文章語として(多くの場合亡くなって間もない)故人に向けての哀悼の意を示すべく、文末に添えられることがあります。
遍路・巡礼としてお寺を周っているわけですから、素直な気持ちになってこれまでの道中での無事を感謝したり、お接待へのお礼の気持ちを込めて合掌をしていただければと思います。
合掌には、気持ちを落ち着かせる効果があると思います。
一日無事に終えれたことに感謝し、明日の安全を祈願し寝る前に合掌をしてお休みください。
鐘撞
お遍路や巡礼では鐘をつく場合は、必ず参拝前に行ないましょう。
禁じられている行為の中に参拝後の“戻り鐘”はついてはいけない。というものがあります。
鐘撞(かねつき)は本来「これから参詣させていただきます」の意をご本尊やお大師さまに伝えるものです。
家を訪ねたときに、チャイムを鳴らすのといっしょです。
ですから戻り鐘を突くことは、現代に直せば“ピンポンダッシュ=玄関の呼び鈴を鳴らしておいて逃げ去るいたずら行為”みたいなもので、ご本尊やお大師さまに対してひじょうに無礼な行為なのです。
私は鐘撞が大好きです。
お札所ごとに鐘の音が違います。鐘撞をすることでお札所の印象を心に刻めるような感じがするからです。
観世音菩薩
観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は十三仏の百ケ日導師。三十日秘仏の十八日仏でもあります。
観音経などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっている。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩でもあり、般若の智慧の象徴ともなっています。
単独で祀られることも多いが、勢至菩薩と同様、阿弥陀様の脇侍(きょうじ)として阿弥陀三尊でまつられます。阿弥陀様の助手的な働きを担当します。
阿弥陀様の化身と考えられ、冠(頭)に阿弥陀様の化仏を付けているのが特徴です。
施無畏者(せむいしゃ)、救世菩薩(くせぼさつ)、救世浄聖(くせじょうしょう)、蓮華手(れんげしゅ)、普門(ふもん)、大悲聖者(だいひしょうじゃ)など様々な呼び名があります。
観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、三十三の姿に変身すると説かれているます。
基本的に一面二臂が聖観音(しょうかんのん)となります。
ご真言 おん あろりきゃ そわか。
観音信仰
観音信仰は、飛鳥時代に伝来したと考えられています。
奈良時代には十一面観音や千手観音などの多面多臂(ためんたひ・面は顔、臂は腕のこと)の変化観音像も造られ非常に盛んになりました。
当時の観音信仰は、鎮護国家から日常的な至福や除災など、現世利益を求めたものが中心でした。
しかし、平安時代の10世紀頃から浄土信仰の発達を背景に観音信仰も来的色彩を帯びていきました。
原世利益に加えて、「来迎引摂(らいごういんじょう・浄土からのお迎え)」の利益も説かれました。
10世紀末以降には、京都や近畿内の観音像を安置する寺院への貴族や民衆の参詣が流行し、ここから、観音霊場を巡礼して験力をみがく 経験者も現れていきました。
平安時代の後半には観音三十三身にちなんで近畿周辺の代表的な観音霊場三十三所を巡る西国巡礼が確立します。
鎌倉時代には坂東三十三カ所、13世紀に秩父三十三カ所(後に三十四カ所に)が成立します。
巡礼の大衆化が進み、15世紀頃には修験者だけではなく武士や、豪農も参加するようになりました。
これの過程を経て、札所の巡礼や服装・御詠歌など今日見られる巡礼のスタイルの原型が定まっていきました。
現在は、全国各地に100以上の観音巡礼の霊場が形成されています。
観音信仰は、現世と来世の現当二世(げんとにせ)にわたる幅広い利益をもたらすとされ大衆信仰の代表的存在となっています。
観音霊験記
観音霊験記(かんのんれいけんき)は江戸時代の安政5年(1858)から順次刊行された大判錦絵による人気の高かったガイドブックです。
この観音霊験記は、西国・秩父・坂東の三観音霊場(百観音)について各一枚とした都合百枚があったと考えられます。
しかし残念ながら、坂東の18カ所については現存しておらず、いまだ発見もされておりません。
その特色は、紙面の上部に名所旧跡の景観を配し、下2/3には札所寺院の霊験談が、歌舞伎の演目のごとく描かれています。
さらに、戯作者の万亭応賀(まんていおうが/本名・服部孝三郎)による文章を収載しています。
浮世絵は絵師二代広重・三代豊国・国貞の共同作業によって描かれています。
まさに現代のガイドブックのような構成です。
人気の秘密は、きわめて具体的な霊験を紹介しながら、札所本尊の由来を説いていることです。
現代人から見れば、いかにもにわかに信じがたい話が多いのですが、観音信仰と重ね合わせ、当時の人々が観音の霊地に思いをめぐらせたことが容易に想像できます。
秩父の札所には観音霊験記の大額が各札所に奉られております。
ぜひ仮想世界の巡礼を体験することをお勧めします。
日本百観音ホームページはこちら →
http://jpan.jp/?kannonreikenki
経本
多くは蛇腹で手に持ちやすいものがお札所で購入できます。
四国霊場専用の経本の基本は般若心経・御本尊真言・光明真言等が書かれているものを選びます。
本堂や太子堂・観音堂で唱えるお経は、暗記していても経本を見ながら読経するのが慣わしになっています。目で見て声に出すことは、脳の活性には最高の教材です。読みやすい教本を選ぶことをおすすめします。
中には1文字2cmくらいのとても大きな文字のものも存在しますので、手に取ることができる場合はぜひ見てから購入してください。
団体旅行の場合には指定の教本がある場合がありますが、基本的に「巡礼作法」の読経の順序にあげた経が書いてある教本で十分です。
心遍路では般若心経・十句観音経を
ダウンロードで印刷できるようにしてあります。
↓ ↓ ↓
http://www.kokorohenro.org/okyo/
結願
結願(けちがん)とは、巡礼者が札所をすべて巡り終えたことをいいます。
四国88カ所の場合は、順打ち(1番から順番に回ること)の場合、第88番の大窪寺が結願の寺に、逆打ち(88番から逆に回ること)の場合、第1番の霊山寺が結願の寺に、区切り打ち(札所を何回かに分けてお参りすること)や一国参り(1つの県の札所を巡拝すること)で回った場合は、88番目に訪れたお寺が結願のお寺になります。
第88番の大窪寺の本堂前の石碑には
あなうれし
ゆくも かへるも とどまるも
われは 大師と 二人づれなり
と書かれておりました。
ちなみに日本百観音の順打ちの場合の結願寺は
西国 第33番谷汲山 華厳寺
坂東 第33番補陀洛山 那古寺
秩父 第34番日沢山 水潜寺 です。
ご詠歌
ご詠歌の起源は古く、花山天皇(968-1008)が観音霊場の西国三十三ヶ所を再興された当時から、巡礼讃仏歌として歌われて来たようです。仏教の信仰心と共に在るものです。
五・七・五・七・七の和歌に節をつけたものを「ご詠歌(御詠歌)」と呼びます。
四国・西国・坂東・秩父の霊場のすべての寺院には、ご詠歌があります。
これは、おそらく遠い時代からお参りの人々に読まれ、語り継がれているものです。
当時の文献では、お経(今日での般若心経)の代わりとして参拝者全員が唱えたもののようです。
その内容は宗教的な意味で、万葉集の分類では「雑歌(ぞうか)」に属する公式の歌にあたります。
一般の大衆には、お経よりも分かりやすくありがたいものであったのではないでしょうか。
ちなみに四国1番札所 霊山寺のご詠歌は、
『霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり』です。
意味は、お遍路さんとして霊山寺の本堂前に呼んでもらえました。きっと今までの悩みや苦しみもこれにより消えてしまうでしょう。
まだまだ全国のお札所を見てみるとご詠歌がないところも数多くあります。
みなさんも平成のご詠歌を考えてみてはいかがでしょうか。
お札所のご詠歌を集めて収集・紹介している ご詠歌.comのサイトです。音声でも聞くことができます。
↓ ↓ ↓
http://www.goeika.com/index.shtml
御宝号
御宝号(ごほうごう)とは、お遍路さんの白衣の背中に書かれている「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」のことです。
「南無」とは帰依すること、「大師」はもちろん「弘法大師」のこと、「遍照金剛」とはお大師様が唐の都長安の恵果阿堯梨和尚から与えられた灌頂名で大日如来を表します。
密教では大日如来が宇宙の根本であり、お大師様は学法灌頂の儀式において大日如来と仏縁を結んだとされています。
つまり、御宝号とは「ああ、弘法大師よ、大日如来よ」とたたえる言葉です。
弘法大師の教えを信じ、自分を大師様に任せるという意味参拝の際に唱えるるものです。
また、お遍路さん同士の挨拶の言葉としても使われます。
「南無大師遍照金剛」と3回唱えます。
ご利益
ご利益(ごりやく)というと神社仏閣にお参りし、厄除け開運・商売繁盛・縁結び・夫婦円満・ボケ封じなどを願い、その結果として病気が治ったとか、商売が繁昌したとか、幸運が訪れるなどを期待します。
参拝する(お願いする)→願いが叶う(ご利益)の間に、そこに至る手順が必要になります。
「ご利益」とは、善行の積み重ねの結果だと思います。
仏さまの正しい教えを守り、それを実践することなのです。
自分のためにだけ祈り、努力するのではなく、人々のために祈り、何をしたかが大切になります。
その結果に対して、仏さまからの恵みが与えられることを「ご利益」と言います。
お遍路・巡礼でお参りして「ご利益」をいただいた話を耳にしますが、それは、巡礼者として作法や正しい教えを守り、修行の旅を行った結果得られたものなのです。
巡礼者は、旅の途中で起こることを「お陰をいただいた」と感謝します。
不都合なことでも「いましめ」というお陰の一種として自己反省のきっかけにして感謝するのです。
お遍路・巡礼はこの「お陰」に出会う旅であって「お陰」のない巡礼は考えられないといえます。
この「お陰」の結果が「ご利益」なのではないでしょうか。
金剛杖
金剛杖はお遍路・巡礼には欠かせないアイテムのひとつです。
1メートル余りの木製の杖で、遍路中、特に、疲れてきた時や登りの山路ではありがた味がわかります。
四国遍路においての金剛杖の意味は「弘法大師」の化身と言われています。
これは、金剛杖を持って巡拝することは弘法大師とともに歩くことであるということです。
歩いているときには、坂道で身を支え、また、野犬や蛇などから身を守る道具にもなります。
弘法大師の化身ですから宿などに入る時は金剛杖を玄関などで洗います。そのための水が用意してあることが多いです。
飛行機で移動する際は、金剛杖を客室に持ち込むことはできません。長い棒なので「凶器」になり得るとみなされるのでしょう。杖は必ず預けなくてはなりません。
その昔、金剛杖は、お遍路の途中で倒れた時に卒塔婆の代わりになるものでした。ですから現在も杖の上部は刻みが入っていて卒塔婆を表しているのです。
ここに書かれている梵字は「空風火水地」を意味しています。上部の布カバーは、この部分を保護するものです。
四国の歩き遍路の場合は、20cm近く短くなるものもあります。
お遍路を無事巡り終えたら、杖を第88番札所大窪寺に納めるという方法もあります。もちろん自宅に持ち帰り、大事に保管してもかまいません。
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